以前、顧問先である某社からこんな質問を受けたことがあります。
「当社は、就業にあたっては制服の着用を義務付けています。あるとき、始業時刻ギリギリに出社し、タイムカードを打刻してから着替える社員がいたため、余裕を持って出社し、先に更衣を済ませてからタイムカードを打刻するように注意したところ、『それでは更衣時間は早出残業になりますか』と反論されてしまいました。更衣時間は労働時間になってしまうのでしょうか」

  難しい問題ですね。社会人たるもの、1つ1つの行為が労働時間に該当するかどうかではなく、「これから仕事をするんだ」という気概をもって日々臨んでいれば、余裕を持って出社し、タイムカードを打刻する前に更衣を済ませておくのはむしろ常識な気がします。


「更衣時間」を法的観点から見る

  では、法的に見た場合、実際にはどう判断されるのでしょうか。

  この点、参考になる裁判例として、三菱重工業長崎造船所事件(最高裁一小・平成12年3月9日判決)があります。作業を行う際に、作業服と保護具の着用を義務付けられていた事案で、裁判所は、始業前と終業後の着替えについてはこれを労働時間と認めたのに対し、休憩時間に保護具の一部を外す時間や、終業後の入浴については労働時間にあたらないと判断しました。

  その判断の根底には、「使用者の支配が及んでいるか」という考え方が存在します。すなわち、更衣時間が労働時間にあたるかどうかは一律に決まるものではなく、更衣が必要とされる具体的状況に鑑みて、更衣を行うことにつき、使用者の支配が及んでいるかどうか、という観点から個別具体的に判断するわけです。

  本来、労働契約とは、使用者が賃金を支払う代わりに、労働者は労働力を提供する義務を負うという契約です。この「労働力を提供する」という「債務」を労働者は負っているわけですから、この債務の提供に必要な準備行為も当然に、労働者の負担として行われることになります。

  準備行為の典型が「通勤」です。通勤時間が労働時間に該当すると主張する社員はさすがにいませんね。労働力を提供するために、自宅から職場へ移動する(という準備行為を行う)のは当然であり、これは労働時間に含まれません。

  これと同じ考え方で、「就業に適した服装」も検討する必要があります。服装が自由な職場についてまず考えてみましょう。本来、労働者は就業に適した服装で職場に来るべきであり、通勤時間と同様、そのための 準備時間は当然に労働者の負担となります。

  たとえば、競輪選手が乗るような自転車で通勤するために、ヘルメットをかぶり、専用のサイクリングスーツを着て出勤してきた者がいたとします。当然、その状態では仕事に適さないので、職場に着いてから 普通の服装に着替えるとします。この着替えは当然、労働時間に含まれません。


制服着用が義務の場合

  では、職場に制服がある場合で、通勤時の私服からその制服に着替える場合は どうでしょうか。使用者が制服を着て職務を行うことを労働者に義務付けているのであれば、 自宅から制服を着てくることを許容しない限り、労働者にとって職場での更衣は必須となります。 この場合、「更衣」を必須とする時点で、使用者の支配が及んでいると考えられ、法的には更衣時間は労働時間と見るのが正しいことになります。

  先の判例で、始業前と終業後の更衣時間につき、労働時間と認定されたのもまさにこの理です。もっとも、同判例において、休憩時間の保護具の一部着脱や、終業後の入浴は労働時間と認定されませんでした。これは、休憩時間は労働者の自由に使用させれば足り、必ずしも保護具等の離脱を要件とするものではなく、また、終業後の入浴も任意であり、入浴しなくとも通勤(帰宅)に支障はないと判断されたからです。

  以上をふまえると、制服の着用を義務付けている場合に、使用者が「(始業前及び終業後の)更衣時間は労働時間ではない」と主張するのは法的には難しいものと思われます。

  とはいえ、法律論ではなく、道徳論として、これから仕事を始めようという者の「心構え」としては、早めに出社し、あらかじめ更衣を済ませ、仕事を開始できる状態になってからタイムカードを打刻する、といった姿勢は欲しいものです。

  始業前の更衣を命じると、更衣時間=労働時間となる以上、法的には就業時刻前に労働させることになるわけですが、それは更衣時間についても割増賃金の支払い義務があるかどうかという賃金請求事件における法的判断であって、社会通念一般としては業務開始時刻になってから着替えるようでは、社会人失格と考えます。

  労使が互いに気持ちよく働けるよう、労働者はタイムカード打刻前に更衣を済ませるくらいの姿勢で日々の仕事に取り組むとともに、使用者もこれに甘えず、労働者が多少の中抜けをしても逐一賃金カットをしない、といった配慮をすべきではないでしょうか。